気まぐれ日記 07年5月

07年4月はここ

5月1日(火)「超多忙な5月の幕開け・・・の風さん」
 あまり寝坊せずに8時過ぎに起床した。それは先週の金曜日の夜にユニセフにファックスで注文した品物に追加したいことがあったからだ。ずっと休日だったので、電話対応が始まる今朝の9時に、注文の変更を伝えたかった。ジャスト9時に電話したら、うまくつながって先週のファックスはいったん取り消してあらためて電話注文することになった。朝からうまく行ったので、今日は良い日になりそうだと思った。
 それから、今日から5月なので、気分を変えようと、家中のカレンダーを4月から5月に変更するとともに、時計の時刻合わせをした。家の中にはおびただしい数の時計が設置してある。あまりにも多過ぎて、これまで正確に合わせることをしていなかった。ほぼすべての時計が進んでいるので、安心していたきらいもある。居間、キッチン、サンルーム、寝室、書斎から洗面所はては浴室、エアコンや湯沸かし器のタイマーにいたるまで時刻調整した。ただ電話の時計表示だけが、やり方が分からずそのままとなった。
 こうして安心して執筆、となったのだが、さまざまの妨害があって、不完全燃焼の1日だった。
 一番ショックだったのは、愛工大本山キャンパスで大野先生にも手伝ってもらって保存した文献のアブストラクトが、な、なんと保存失敗! 先生の保存は正確にできていたのに、私の保存はデータが不完全で、やり直さなければならなくなった。アホだー(^_^;)。
 超多忙が明白な5月だが、長女とディズニーシーへ行く約束をしてしまった。病気だね、こりゃ(笑)。

5月2日(水)「依然として執筆の調子が上がらず・・・の風さん」
 すごい速さで連休が消えていく(笑)。約9ヶ月ぶりの執筆なので調子が上がらないのかもしれないが、絶不調で焦る。このまま1ヶ月くらい会社を休みたいが、そういうわけにはいかにゃい。何と言っても生活は会社からの収入で成り立っているのだ。
 しかし、これでは、連休明けに長編小説の第一稿を提出するという約束が果たせない。困った。
 また、そういうときに限って、気になることが色々あって、にっちもさっちも行かなくなってしまうものだ。そろそろなくなりかけているシャンプーやリンスをネット注文しなければならないかも、と思って洗面所の下をチェックしたら、買い置きがどっさりあった! ラッキー! たまにはこういうこともあるさ(^_^)。
 とは言え、何はともあれ、先立つものはお金・・・じゃなくって、体力も大事だから、夕方からトレーニングに行った。
 今日は非常に空いていて、ちらほらいるだけ。こういうときは集中してトレーニングができる。
 フルメニューをこなしたのはいいが、まるでパワーがない(笑)。
 日本文芸家協会から毎月送られてくる「ニュース」に、児童文学者のたからしげるさんの面白いエッセイが載っていた。たくさん本を出版してもヒットしないと儲からない。だから、会社勤めはやめられない、というもの。なんだ、自分のことじゃないか、と微苦笑。
 就寝前にPSPで「カズオ」をやった。「極難レベル」のベスト10はすべてFUHSANで埋め尽くされている。次の目標は、ベスト10のタイムをすべて10分以内にすることだ。遊ぶことだけは集中できるな・・・と妙な納得。

5月3日(木)「祝中日文化賞受賞、清水信先生・・・の風さん」
 朝刊を開いたら、文芸評論家の清水信先生の中日文化賞受賞の記事が出ていた。86歳。もっと早く差し上げてもよかったのに、と思う。
 名古屋のAカルチャーセンターで、たった3ヶ月だけの「歴史小説の書き方」講座を受講したのは、もう何年前のことだろう。講師の大内美予子先生とはそれ以来お目にかかっていない。
 カルチャーセンターの利点に気付いた私は、すぐに清水信先生の「小説の書き方」教室に入った。ここで学んだ基本は今でも役に立っている。プロデビューしてからは、教室に通うのをやめたが、できた作品は先生のお宅へ送り続けてきた。地元で頑張っている私に対して、清水信先生からは、その後も暖かい声援が送られてくる。昨年の『ラランデの星』に関しても、中日新聞と三重県の同人誌の2ヶ所で紹介してくださった。本当に先生というのはありがたい存在である。
 今日こそ執筆のペースを上げようと、パソコンに向かったとたんにまた雑念がちらつき出した。今年になってから、講演資料のバックアップをとっていないのである。そんなバカな、と言われても仕方ない。それだけギリギリの仕事のやり方なのだ。
 しかし、それも限界だと思い、今日は、午前中にデータをMOに保存した。とりあえず「ホッ」である。次に、取り組み中の小説のバックアップである。これはDVD−RAMに保存しようと思った・・・が、失敗した。時間切れ。明日また挑戦しよう。
 そうだ。手紙も2本書かなきゃいけないな。これは連休明けだ。
 午後からノロノロと執筆再開。今年はたくさん読書しているが、ちっとも文章は上達しないなあ。

5月4日(金)「トレーニングだけが意味のあった1日・・・の風さん」
 GW中のサラリーマンにとって、国民の祝日はあまり実感がない。年に3度の連休の一つで、土曜から日曜までの9連休がベースになる。今回もそうだった。日頃、頭の切り替えができなくて、執筆モードに入れないでいるが、こういうときはチャンスである。そうやって期待して突入した連休だったが、相変わらず執筆速度は上がらない。歴史小説はなかなかつらい。徹底した時代考証が絶対条件になるからだ。しかし、それにあまりこだわり過ぎると、物語としての面白みもなくなくってしまうし、うっかりするとメッセージというかテーマまで見失いかねない。「努力すれば報われるゾーン」と「思い切って飛躍して取り組むゾーン」の往復を自由にやれないといけないのかもしれない。
 そんな風に悩みながら書斎で頑張って夕方になった。今日はトレーニングに行くぞ、と階下へ降りたら、道路が大渋滞だとワイフが教えてくれた。観光地に住んでいるので、この時期、潮がいいと混雑する。
 2時間ほど遅らせてから、それでも意を決してトレーニングに出かけた。今日のトレーニングルームも空いていたが、やがて講習会が始まった。トレーナーの講習を受けないと、トレーニングルームを利用することができない。せっかく権利を得ても、利用する人は限られている。自分もやがて毎日日曜日になったら、せっせと通って来れるのだろうか。今日もフルメニューをこなした。大腿四頭筋の衰えが一番気になる。
 帰宅したら、次女がサンルームで共用パソコンに向かっていた。驚いたことに、サンルームで暖房を入れている。
 書斎で執筆を再開した私は、今年初めてエアコンをドライ運転させた。3.2GHzのデュアルコア・パソコンからは、けっこう熱が出る。
 私のどうしようもない老朽コア・頭脳からも、無益な熱が発散しているのだろう。
 就寝前に無理やり今年20冊目の読了を達成。

5月5日(土)「執筆方針変更・・・の風さん」
 とにかく執筆に専念しているが、あまりの進展ののろさに夕方で方針変更。もう調べながら書くのはやめた!
 出前講演で大活躍しているアシュレイにデータを移し、サンルームに移動して執筆再開。
 早速ワイフから、
 「早くこうすれば良かったのよ」
 と、分かったようなセリフを突きつけられた。
 調べようがないと、確かに物語を進めるしかなくなるから、原稿は進みそうだ。でも、何もないときは、それはそれで書き進むのがつらい。結局、どうやってものろいみたいだ(涙)。そして、どこへ行っても、優しく「風さん、頑張って」と背中を撫でてくれる女性はいない(涙)。・・・誰だ? ざまみろ、なんてぬかす奴は?
 晩御飯に食べたカレーライスがどうにも消化しなくて苦しいので、今夜はさっさと寝ることに・・・(これも現状からの逃避だろう)。
 それにしても、今日は「こどもの日」だというのにレジャーパークで悲惨な事故が起きたな。
 やはり安全はすべてに優先するぞ。

5月6日(日)「とうとう連休最終日・・・の風さん」
 とうとう連休最後の日だ。外は雨がしっかり降っている。肌寒い。計画通りに執筆が進んでいない私の胸の中にも、しとしと涙雨が降っている。とにかく昨日に続いて、サンルームで執筆再開。・・・。
 こんなにペースが上がらないのに、よく粘れるな、と自分でも感心するが、できないものはできない。
 夕方から雨の中トレーニングに行ってきた。とにかく体力がない。鍛えねば。
 トレーニングルームには5人くらいの先客がいた。マシンでランニングをしている若い女性がいたのだが、見事なプロポーションをしていて思わず見惚れてしまった。ジャージもTシャツもぴちっと体に合っているから、ボディラインがくっきりと出ている。走り方も実に美しく無駄のないフォームである。運動にも慣れているのだろう。こういう人は、こんなトレーニングルームなんかで運動するのではなく、何かの競技で活躍すべきだろう。美容のためだったら、その必要のないプロポーションをしているぞ・・・って、余計なお節介の風さんでした。
 イジイジと考えながら30分の自転車漕ぎを終え、記録をチェックしてみると、ピーク時の60%の持久力であることが明白!
 毎日少しずつでも読書はしている。とうとう長編『奸婦にあらず』を読み終わった。すごい力作だった。書き上げるのにかなりのパワーを要したと思う。諸田玲子さんの力量に脱帽。でも、最後の終わり方がイマイチだったね。惜しい。
 昨夜はカレーライスを食べ過ぎて苦しかったが、今夜はほどほどの量のスパゲティだった。家族は皆違ったメニューで、私は今夜はペペロンチーネにした。かぼちゃのスープが出たので、スジャータを入れた。容器に残ったスジャータは、かつてはシルバーの好物だったが、最近は横を向く。品質が低下したのに違いない。それともミルクを一切使わないスジャータだから、猫でも分かるのか、いや猫だから分かるのか。
 明日から会社の仕事なので、今夜こそは早く寝よう。

5月7日(月)「会社が始まってまた多忙な日々・・・の風さん」
 連休が明けたが、トレーニングの成果を出して、元気に行動することにした。
 その手始めは早起き。と言っても、たいした早起きではない。普段より20分ぐらい早く出社して、分刻みのスケジュールが始まった。
 終日びっしりで、昼休みも「なし」。途中で本社も往復した。
 帰宅したのは9時過ぎ。何もせずに作家の1日が終わるわけにはいかないので、ハガキを2枚書いた。1枚は、女優の五大路子さん宛て。昨年果たせなかった白金台二本榎の長谷川伸邸見学の誘いである。うまくスケジュールが合えば、長谷川先生の亡くなられた6月つまり来月に墓参と一緒にやりたい。
 結局、執筆は1文字もできず。
 小学館の編集者にメールで原稿の相談。

5月8日(火)「秋にもう一つ講演ができるかも・・・の風さん」
 朝から本社直行。途中で昨夜作成したハガキを投函。明日の重要な会議のための事前トップ(副社長)ヒアリングを実施してから製作所へ戻った。日中の予想最高気温が、当地は29℃と新聞に出ていたが、確かに夏のような日差しが照りつけている。暑い。
 午後はず〜っと明日の会議の発表資料作成。職場でも冷房を効かした。定時後に社内の某部署の部長から電話があり、地元の図書館で秋に講演してほしいという依頼があった。作家としてである。もちろん快諾した。私の勤務先は、社員のこういった活動に対しても、おおらかに包み込んでくれる。本当にありがたい。そんなことがあってもまだ資料作成が続き、ようやく帰宅したのは午後10時過ぎ。
 今年から就職して名古屋で一人暮らしを始めた長女が遊びに来ていた。来週一緒にディズニーシーへ行くので、その相談も少しあった。しかし、早寝しなければならない私は、さっさと夕食を摂り、シャワーを浴びて寝た。連休中にトレーニングを積んだとはいえ、体力は落ちている。無理はできない。

5月9日(水)「大会議を終了しても終わりなき戦い・・・の風さん」
 今日も、日中の最高気温が、昨日と同じ29℃になる、と新聞に出ていた。
 会長、社長以下トップが10人以上出席する「開発審議会」のある日だ。そうでなくても暑い一日になる。私の会社の仕事として、今年最大のイベントになるはずだ。審議会だから「審議してもらって承認を得る」のが目的である。
 いつもより早めに起きて洗面所に行き、顔を洗おうとして心臓が止まりそうになった。鏡を覗くと左の白目の中が真っ赤に出血しているのである。何年か前にも一度こういうことがあり、大事にはいたらなかったが、なかなか治らなかったし、だいいち他人様に対してとっても不快感と心配を与えてしまう。それに、今日は重要な会議のある日。どうも幸先が悪いような気がする。
 午前中に発表資料の最後の仕上げをした。昼食もそこそこに本社へ向けて出発。今日も日差しが暑い。
 会議は予定していた1時間半を30分も残して終了した。それだけ事前の準備がしっかりできていた、とも言えよう。いくらかの議論はあったが、目的は達成した。我々の計画はすべて承認されたのである。
 同僚や部下の努力をねぎらって、夕方から愛工大本山キャンパスへ電車で出かけた。目的は、参考文献の検索だったが、事務室に寄ると、申請してあった駐車許可証が出来ていてもらえたし、また、愛工大経営情報科学専攻のパンフレットに載せる私のインタビュー写真と記事の原稿が出来ていて見せてもらった。さすが、プロのライターとカメラマンの仕事である。私は、本人以上によく登場していた(笑)。これなら客寄せパンダとして貢献できるかもしれない。
 
5月10日(木)「自然災害には勝てないが・・・の風さん」
 会社における私の職場には、小さいながらも生産現場がある。生産現場があると、安全に関してかなり注意を払わなければならない。その安全は職場内だけでなく、通勤や出張はもちろん私用での交通事故にも神経をとがらせる。安全は仕事をする上での大前提なのである。
 昨年は、職場内に神棚を設置して神主に来てもらって祈祷もした。ボランティア参加の凧揚げでは、凧の絵柄にまで「交通安全」の4文字を入れてもらった(私の強制ではない)。全社で交通安全標語を募集するときは、私の職場では全員が参加できるように、特別に参加賞や相互投票で選んだ優秀作品に景品まで出している。
 そういった地道な活動の成果か、昨年度、私の職場では加害人身はもちろん加害物損事故すら起きなかった。職場災害も同様である。そのことで、今日、製作所から表彰を受けた。うれしかった。この状態が1日でも長く続くようにしたい。
 午後から急激に天候が下り坂になり、風雨が強まり、な、なんと当地では、大粒の雹が降った。自然災害だけは、人間の力ではいかんともしがたい。
 不本意にも帰宅が遅くなってしまったが、評論家の清水信先生へ、中日文化賞受賞の心ばかりのお祝いの品物を贈る手配をした。

5月12日(土)「昼も夜もラーメン・・・の風さん」
 最寄の駅を6時17分に出る電車で出発した。日が長くなってきたので、外は明るく、こんな時間でも気が滅入ることはない。
 新幹線とJRとバスを乗り継いで、午前10時に吉祥寺にある成蹊大学に到着した。
 今日は、日本経営工学会の春季大会があるのだ。
 夕べは早めに寝たので、途中居眠りすることなく、ずっと読書に専念。吉祥寺に着くまでに、吉村昭さんの文庫『雪の花』を読み終えた。幸先好いスタートを切ることができた、と満足した。バスを降りてすぐ、成蹊大学の正門まで空に届きそうなくらい高い欅並木が続いていて、それも気分が良くなる材料だった。
 今年度から会員になったばかりだったので、受付でトラブルがあるかもしれず、入会金や年会費、春季大会参加料を納めた領収書も持参していたが、それらを出すまでもなく、名乗っただけで名札と予稿集がもらえた。そのとき、面白いことがあった。受付のアルバイトをやっている学生から見れば、私など老人なのだろう。「@@です」と名乗ると、「@@先生」と先生付きで呼ばれてしまった。訂正するのも鬱陶しいので、そのままにしておいたが、仕方ないことだ。
 夕方まで、研究発表も講演もすべて真剣に聴講した。講演は非常に示唆に富んでおり、勉強になった。研究発表は、私の取り組む研究と類似の発表はなく、様々の分野の発表を聴いたが、どうも研究に取り組む姿勢が甘いと感じた。企業や現場から遊離した印象が強いのである。やはり、現場と研究は不即不離の関係にあるのが理想だろう。
 ま、ともかく充実した1日を過ごして大学を後にしたのだが、実は、夕方から「懇親会」があった。ところが、プログラムには「ネットワーキング」と書いてあったので、「懇親会」とは気付かずに帰ってしまった。大会参加料が1万円(自費)で、懇親会料も含まれていたそうなので、ちょっと損した気がした・・・じゃなくって、多くの研究者と交流するチャンスを逃して残念だった。
 昼食は、学食で塩ラーメンを食べたのだが、夜も汚いラーメン屋で喜多方ラーメンを食べた。
 ホテルでは、参考文献のABSTRACTの日本語訳に挑戦していた。

5月13日(日)「帰路もみっちり仕事・・・の風さん」
 実は、金曜日に退社するとき、守衛のいる門でパソコンの持ち出し処理をしたのだが、書類にハンコをもらった直後、その持ち出すパソコンを守衛の前に置き忘れた。昨日は、ある教室で研究発表を聴講し、昼食を食べに学食へ行くとき、カバンは持ったのに、予稿集を机の上に置き忘れた。懇親会にも気付かず昨日はホテルへ戻っているので、ちょっと不調らしい。
 今朝は7時からホテルでバイキングの朝食を摂った。最近、早寝をしているので朝はちゃんと起きられる。朝食後にも、昨夜の続きで、ABSTRACTの日本語訳に挑んだ。こいつがホネで、なかなか終わらない。
 ホテルをチェックアウトして、地下鉄とJRとバスを乗り継いで、成蹊大学に着いた。今日はちょっと天気が曇っているが、欅並木は美しい。昨日は研究発表で失望したので、あちこちのセッションを聴講して歩くことにした。
 昼食は、今日は学食が休みなので外へ出、大衆食堂で盛り蕎麦とミニ牛丼のセットを食べた。相変わらず麺類中心である。やはり老人現象か(笑)。
 今日の講演は普通で、研究発表がけっこう興味深かった。従来からある指紋認証システムに、もう一つのタグを加えた新システムでは、質問をして、あとで先生から質問したことに対して感謝された。別の発表では、明らかに企業の実態とかけ離れた研究をしていたので、間違いをズバリと指摘し、それもあとで先生から反省の弁を聞くことができた。経営工学の世界はビジネスと直結しているので、単純に工学だけで議論できない。人間的な面やビジネス面つまり意思決定や経営判断といったものも重要である。したがって、研究範囲は非常に広くなり、学際的である。ある意味、私に向いた世界かもしれない。
 学会が終了に近付いた頃から、持参したパソコン(アシュレイ)に学会のメモを記入するようにしたが、簡単にメモも終わらない。学会終了と同時に帰途につき、東京駅では、新幹線が出発する前に、待合室のコンセントがある席に座って、メモの続きを入力した。
 新幹線に乗車し、品川を過ぎた頃から、最前列の席が空いていることが分かったので、そちらへ席を移動し、アシュレイを立ち上げ、ABSTRACTの翻訳を続けた。
 そう。帰りの車内でも風さんは、真面目に研究に取り組んだのである。

5月14日(月)「愛工大附属図書館のサービスに感動・・・の風さん」
 今日は休暇をとってやることが一杯あった。先ず、ミッシェルで家を出て、いつもの検査のため総合病院へ向かった。
 9時半に検査のための採血をし、10時半過ぎにようやく医師に呼ばれて診察を受けた。次回も採血検査をするというので、ついでに花粉症に関して、どのようなモノに対するアレルギーがあるのか調べてもらうことにした。いちおう、スギ花粉を筆頭に、稲とかタバコの煙とかハウスダスト、猫にいたるまで候補を上げた。
 処方された薬をもらって、11時半頃、病院を出ることができた。
 今日は、これで終わりではない。ナビにセットして愛知工業大学の豊田市にある八草キャンパスへ向かった。
 途中で交通事故のために道路封鎖があって、止むを得ずコンビニに寄ってパンとコーヒーの昼食にした。その間に、女優の五大路子さんへ電話して、6月に長谷川伸先生の墓参と長谷川邸の見学の相談をした。
 愛知工業大学では、午後1時から技術文献検索システム「INSPEC」の講習会があり、それにギリギリで間に合った。
 その後、大野先生と合流して鈴木学部長を表敬訪問した。今回の私の入学に関してかなり尽力していただけたとうかがっていたので、拙著『円周率を計算した男』を名刺代わりに進呈した。
 3時半からは、附属図書館に行き、もう一つの技術文献検索システム「JDreamU」の使い方の指導を受け、さらに図書館全体の利用について懇切丁寧かつ詳細に教えてもらえた。どのような施設もそこで働く人がしっかりしていないと宝の持ち腐れになるが、そこへいくと、この図書館はすばらしい。教官や学生にとって非常にサービスが良いこと、また設備や文献が整っていることが分かったので、これからの研究に大いに助けになるだろう、と思った。
 八草キャンパスに6時半まで長居してしまった。
 夕闇迫るキャンパスを後にして、名古屋の中心部をミッシェルで突っ走って、8時前に帰宅した。
 
5月15日(火)「最近物忘れが・・・の風さん」
 15日に東京へ行かなくなって久しい。このところ新鷹会の勉強会は盛況とのことだ。野村先生もお元気に姿を見せておられるそうで、安心だ。先の心配ばかりしていた私はバカみたいだ。とにかく今は、自分の仕事をしっかりやらねば。
 今朝は、土日に学会で出張していたので、何となく出社した気がした。早朝からバタバタと仕事をしている間に、とんでもないことを思い出した。先週の木曜日にある機関から問い合わせの電話があり、できるだけ回答を約束した。回答はその夜のうちに準備できたので、金曜日に回答しなければならなかった。ところが、そのことは忘却の彼方へ放り投げていたのである。昼前に、慌てて電話した。たまたま先方は会議で席を外していたのだが、電話に出た人に伝言をお願いした。どうも最近物忘れが激しい。
 退社時に、なくなっていた朝鮮人参を買って帰った。これは目の疲労によく効くのだ。
 帰宅して、書斎にカバンを置きに入ったら・・・な、なんと、書斎の蛍光灯がつけっぱなしだった。朝からそのままだった・・・

5月16日(水)「めまぐるしい1日・・・の風さん」
 夕べも早寝したので、今朝は6時過ぎに起床できた。ミッシェルで高速を突っ走って本社へ出勤。
 午前中に3つの会議を終え、昼食を摂ったあと、今日は午後早めに退社して、遅れている作家の仕事をしようと思った。
 製作所へ戻る途中、郵便局に寄って東善寺へ寄付の振り込みをし、新鷹会の仕事の往復はがきを出した。ついでに、中古車屋に電話して、ワイフのクルマの12ヶ月点検を予約した。
 職場に戻って部下に次々に仕事の指示をしつつ、午後から定時後にかけての会議に欠席することを宣言してから、自分の仕事の片付けに専念した。どうしても自分でやらねばならないことは、やはり自分でやるのである。
 ・・・そうこうしているうちに、6時過ぎてしまった(笑)。
 帰宅したら、地元の図書館にお願いしてあった相互貸借の本が届いたという知らせが来ていた。早い。地元の図書館のサービスには、頭が下がる。
 書斎に入って、会社のサーバーに入るための準備作業をした。とりあえず成功したが、まだやることは残っている。マルチ人間は、どこでも仕事ができるようにしておかなければならない。

5月17日(木)「ボケで落ち込む風さんの巻」
 今朝も早起きし、出張前に「数学セミナー」から依頼されている原稿の準備をした。
 時間が来たので、急いで家を出、最寄の駅へ。幸い雨は上がっている。
 電車に乗って事件が起きた。定期券が見つからないのである! 数少ない機会をすべて利用しないと元がとれないのに・・・。いや、そんなことを言っている場合ではない。とにかく定期券がないのは大問題だ。いったいどこにあるのだ!?
 車掌が切符の確認に来たが、私の定期券の行方は知らない(当然だ)。最後に使ったのはいつか? 日曜日の東京の学会からの帰りである。そのときと今の自分で違っているのは? 着ている背広が違う! そうだ。火曜日に背広をクリーニングに出した。もしかすると、あの背広のポケットに? すぐにワイフに電話して、クリーニング店に確認してもらった。
 待つこと数分。
 やはり、クリーニングに出した背広のポケットに入っていたという。ちょっと腹が立ったのは、店の人間は気付いていて、金曜日に持って行くつもりだったと言う。定期券って、普通、毎日使うものなんですけどぅ?
 とにかく所在が判明して良かった(当然ながら車内で切符を買った)。しかし、これがきっかけで、ひどく落ち込んでしまった。ここ1週間ばかりの間に、いかに物忘れを連発していることか。多忙なマルチ人間なので、忘れないほうがおかしい、と言ってくれる人もいるかもしれないが、それならもう多忙なマルチ人間は返上しなければならない。
 出張の仕事の成果も芳しくなく、車中の読書もはかどらず、夜、10時過ぎに疲れて帰宅した。頭痛もしていた。

5月18日(金)「タワーオブテラーの恐怖・・・の風さん」
 先月から長女と約束していたことを実行する日が来た。仕事遅れをたくさん抱えていることは、すべて自分の責任である。
 5時過ぎに起床。最寄の駅を6時22分に出る特急で出発だ。
 名古屋駅の新幹線の改札口で長女と合流した(途中走った)。東京駅でコインロッカー(大)にバッグを2つ預け、身軽になって京葉線に乗車。そうである。行き先はディズニーシー。
 平日なので入り口はそれほど混んでいなかった。ディズニーシーはディズニーランドより開園時刻が1時間遅い10時である。開園から入園できた。しかし、そのことは私にとってはうれしいことではなく、長女の希望だった。つまり、長女はまっすぐタワーオブテラーのファストパスゲットへ。ディズニーシー初めての長女でも、今はタワーオブテラーが最大の目玉であることを知っている。私の憂鬱は早くも始まった。これが終わるまで、ディズニーシーを楽しめない。タワーオブテラーのファストパスは12時過ぎの時間帯となった。
 4月からマリオットホテルのレストランにコックとして就職した長女は、五月病にかかることもなく、懸命に働いている。ホテル内にはレストランがいくつもあるが、既にコックとして入社した女子が4名退社したという。二十歳そこそこの女子にとっては過酷な職業なのだ。加えて長女は自宅から通勤できないため、名古屋で一人暮らしまで始めている。ワイフも色々と激励しているが、私にできることがあれば、何でもしてやらねばならない。こむずかしい人生訓をたれるより、こっちの方がマシかと、ディズニーシーを誘ったら乗ってきた。受けて立たねばならなかった。
 最初のアトラクションはセンターオブジアースとなった。これも絶叫系の一つである。3度目の私は、なんとか平静をよそおうことができた。帽子をかぶってサングラスをしている。これは絶叫系克服の良いおまじないになる。しかし、急降下はすさまじかった。何回経験したら慣れるのだろう?
 前回楽しんだゲームワゴンに長女を挑戦させた。2箇所でうまくいかなかったが、長女はぬいぐるみが欲しいと言った。
 シンドバッドブックストーリーは好きだ。キャラクターと音楽がいい。もちろん落下はない(笑)。
 ビールとぎょうざで腹ごしらえしてから、いよいよタワーオブテラーへ。前回も外から建物を見上げてエレベーターが落下するプロセスを推定したが、今日も念入りに観察してあれこれ想像した。先日、テレビで井上和香ちゃんが乗っているのを偶然観たが、落下は1回だけではないらしい。今回、そのこともふまえて再度観察すると、最低2回は落下しているのが分かった。恐ろしい。
 ここまでで、今日のディズニーシーが意外と空いていることが分かった。タワーオブテラーも、ファストパスなど不要なほどだ。
 とうとう電気椅子・・・じゃなかった、落下エレベーターの椅子に座り、シートベルトを装着。もう引き返せない(当たり前だ)。私は椅子にしがみつき、歯を食いしばり、ついでに目をつぶって、もうすべてが早く終わることを祈るしかなかった。
 落ちた! 少なくとも3回。不規則な上下運動だった。あまりの恐怖に頭の中は真っ白。目をつぶっているので目の前は真っ暗。終わったときは、もうフラフラだった。まぬけな足腰で通路を通っていくと、恐怖のシーンを撮影した写真が飾られている部屋へ出た。見ると、私は下を向いている。長女はななめ横を向いていた。・・・と、周囲の客をチェックすると、悲鳴を上げていたはずの若い女性たちが、笑顔でピースサインを送っているではないか!
 終わった。とにかく今日の最大ノルマを終えることができた。
 風がどんどん強くなる園内を、長女とくまなく歩き回り、ミッキーが華麗なダンスとドラム演奏をくりひろげるビッグバンドビートを鑑賞し、夕食は予定通りマゼランズでディナーを注文。料理の写真をすべてデジカメに収めた(これはコック1年生の長女の勉強)。ゲームワゴンは6回目に長女が成功し、ミミーちゃんのぬいぐるみをゲットした。
 ディズニーシーを出たのは閉園時刻の午後10時過ぎである。なんと12時間めいっぱい遊んだことになる。
 都内のホテルに着いて、万歩計を見たら、22074となっていた。我ながら意外とタフだと思う。今日はボケも出なかったし、まだもう少しいけるかな。

5月19日(土)「援交カップル・・・の風さん」
 8時から朝食にした。ゆっくりたっぷり食べて、9時半にホテルをチェックアウト。
 今日の天気予報、降水確率は、近付く台風の影響もあって、30−30−80%である。外ではときどき傘が開いているが、二人とも傘は持ってきていなかった。何とか傘を買わずにすませたい。
 増えた荷物を、品川駅のコインロッカー(大)に預けて、今日の目的地を目指した。長女の希望で、午前中は六本木ヒルズ、午後は表参道ヒルズ。若い女性のショッピングに付き合うのは初めてだったので、現代の流行の勉強ができた(なにしろテレビもろくに見ない風さんなので)。表参道ヒルズのレストランでも、長女には良い見聞になったようだ。
 どうにか陽も射すようになってきた。
 品川から新幹線に乗って、今日は早めに帰途についた。長女は明日の昼過ぎから仕事だし(勤務がきわめて不規則なのである)、私は夜、名古屋で職場の飲み会があり、それに出席する必要があった。
 午後6時前に名古屋に着いて長女といったん別れた(長女はまっすぐ我が家へ・・・土産話もたくさんある)。
 ここまで53歳の父親と20歳の娘が行動を共にしてきたのだが、我ながらよくやれた、と思う。
 2時間ほど飲み会に顔を出して中座した私も、やっと帰宅した。長男は大学から帰ってこない。次女はケータイを買い替えるのだと主張している。ワイフは旅行をうらやましがることしきり。デジカメのモニター画面で、昨日の様子を再現して見せた。
「また行きたい」と長女。
「二人ともよく撮れているじゃない」とワイフ。
「世間から見ると、僕らどう見えているんだろう?」と私。
「援交カップルだと思われたんじゃない」と次女。
「え、えんこうカップルぅ?」と私。
 はずした万歩計は今日の歩数15268を示していた。2日間で37342である。けっこう歩けても、若い女性と歩くのには無理がある。

5月20日(日)「とりあえず依頼原稿を脱稿・・・の風さん」
 普通に起床。遅れている仕事を取り戻す日だ。
 しかし、体がだるい。やはり疲労が蓄積しているのだろう。年寄りの冷や水と言われても仕方ないか。
 ぼんやりと自分のホームページを開いて眺めると、アクセスカウンターが90000を超えていた。すごい。年内にどれだけ100000に近づけるだろうか。
 こちらがゆらゆら揺れいている間に、長女も起き出し、入浴してドレスアップして出て行った。今日からまた仕事なのである。
 ようやく書斎に入って執筆を始めたが、なかなかはかどらない。できれば今日中に「数学セミナー」から依頼されている原稿を完成させたい。書き出す前の資料読みが不十分なので、どうしてもそれらに目を通さなければならない。
 出社した長女からメールが入った。
 「ありがとう。めっちゃ楽しかったし、勉強になったよ」だって! 泣かせるぜ。
 午後になってようやくペースが上がってきた。
 結局、今日はこの依頼原稿を書き上げて電子メールに添付し、出版社へ送るまでしかできなかった。
 就寝前に、ワインを飲みながら、ディズニーシーで買った5周年記念のDVDを観た。こういうものを楽しげに観る自分が信じられない。
 明後日、緊急の臨時有休をとることを決意した。仕事が遅れている。

5月21日(月)「自分の死に方・・・の風さん」
 早めに家を出て、入門時には持ち出した会社のパソコンの再持込手続きをした。例の事件の影響もあって、セキュリティが厳しくなっている。とはいえ、久しぶりに出社した感じがした。ロッカーへ行く前に神棚に1週間の安全を祈願。定時前にラジオ体操もやる。
 今日は、メールがたまっているので、できるだけ会議に出ないようにして、自席で処理を心がけた。
 ところが、夕方から本社へ行く用事が発生してしまい、バタバタと片付けて出発。
 本社で1時間ほど打ち合わせをし、すっかり暗くなった道を帰途についた。高速を利用せず、途中でミッシェルに給油したので、帰宅は遅くなった。
 夕食を摂ったら一気に疲労が出た。居間でダウン。
 ふと目が覚めると、寒い。体がガチガチに冷えている! 震えが止まらない。
 (やばい!)と思った私は、急いで着替えを取りに行き、風呂場へ駆け込んだ。そのまま熱い(筈の)湯船にどぼーん!
 冷えきった体は湯の中でもなかなか震えがおさまらなかった。
 2年前の2月の寒い朝、父は心不全で死んだ。自分もそんな死に方をするような気がした。

5月22日(火)「有休とってたまった仕事の山くずし・・・の風さん」
 夕べは早く寝たのに、今朝起きたのは8時だった。今日はどれだけ仕事がはかどるだろうか。
 昨年来頓挫していた自費出版のお手伝いを再開した。自分のことが大変で、他人の心配などしている場合ではないのかもしれないが、そうはいかないのが世の中だ。義理と人情の世界に私は生きている。
 これが午前中いっぱいかかった。最後は、出版社へのまとまったメール送信である。でも、とにかく一段落は一段落だ。
 それから、会社のサーバーへアクセスして、会社の仕事を1時間半くらいやった。今日は有休だが、自宅でいくらか片付けておいた方が効率的な面もある。世の中には自宅勤務が許されている会社もあるそうだが、私がそうするとなると、カメラも設置してテレビ会議まで対応することになる。これでは、プライバシーは皆無となってしまう。
 昼食後は、学業だ。今度の土曜日に大野先生と簡単なゼミをやるので、文献のアブストラクトを読んでおかなければならない。だいぶ前からその英訳で非常に苦しんでいる。何とも分かりにくい英文なのだ。専門用語が多いのもあるが、言い回しがフツーじゃないからだ。つまりヘタな文章なのである。こんな英語の教科書にできないような文章で論文のアブストラクトを作成するなんてけしからん! と怒っているのだが、いくら腹を立ててもはかどらないものははかどらない。
 そうこうしている間に、五大路子さんと電話で6月に長谷川伸邸をご案内する約束をした。やっと日にちが確定したので、今からそれに向かって気分を盛り上げていかねばならない。え? 6月のいつかって? 五大さんの安全とプライバシーのために、その日まで公開はしません。あしからずm(_ _)m。
 夕食後は、明日の会社の仕事の準備(勉強)である。27年以上も前の大学の教科書を引っ張り出して読み出した。不得意だった科目なので、今読み返しても難しい(涙)。

5月23日(水)「痛快な話・・・の風さん」
 昨夜は、夕食の後、2階の自室へ戻った長男が、すぐにまた階下へ降りてきて、物入れから特殊兵器を取り出した。
 「おっ! 出たのか?」
 「うっ」(煮え切らない長男のこれがYESの返事)
 そうである。今年最初のゴキが長男の部屋で出現したのだ(ザマミロ)。
 しばらくしてゴキジェットを持ってまた降りてきた。
 「やっつけたか?」
 「どこか行った」
 (寝ているときに顔の上に乗ってくるぞ)
 そんな痛快な事件があった翌日の今日は、職場の仕事の関係で九州大学の先生をお迎えし、仕事の紹介をしつつ先生のご専門の立場から、ご意見をうかがった。
 現場をご案内していたとき、こんなやりとりがあった。
 「これが真空**です」
 「真空度と設備は?」
 「@@です」
 「そういうものは学問的には真空**とは言いません」
 「……」
 あとでスライドで技術紹介をしているときも、こんなやりとりがあった。
 「こういった内容で、##学会で発表しました」
 「そこで質問が出ませんでしたか?」
 「……」
 「$$ページの理論の説明は間違っています」
 「……」
 実に明快な指摘をされる先生で、私は気に入ってしまった。今後も、ご指導を頂戴したい。
 
5月24日(木)「今秋の講演が一つ決まったものの・・・の風さん」
「数学セミナー」向けの原稿が受理されたので、関連する写真ということで、建部賢弘が八代将軍吉宗に献上した『綴術算経』を撮影したポジフィルムを今朝郵送した。あとは校正さえすれば、8月号に掲載されることになるだろう。
 午後、本社へ出張し、重要な会議に出席した。その会議には上司の役員も出席していたのだが、ちょっと口をききたくない状況があって、会議が終わったあと、その役員が退室していくらか時間がたってから、会議室を後にした。ところが、1階から5階へエレベーターで上がったら、ちょうどトイレから出てきたその役員とバッタリ。顔を合わせて思わず苦笑。交通事故みたいなものだが、交通事故は笑って許せることではない。その後、廊下がたっぷりと長話。
 定時後は、3ヵ月半ぶりに床屋へ行った。爆睡することが多いが、今夜は頑張って起きていて担当のヒサシくんと雑談。このヒサシくん、なかなか博識で、感心する。あとは読書。
 帰宅したら、今年11月に講演することになった刈谷市中央図書館の担当の方からファックスが入っていた。参考資料ということで、一昨年のポスターのコピーがついていた。見てビックリ。若き芥川賞作家の中村文則氏だった。中村氏は愛知県東海市出身である。ご当地作家として既に登場していたわけだ。

5月25日(金)「雨の中、名古屋出張・・・の風さん」
 今日は名古屋へ出張する日だ。早起きして、自宅を出る前に、論文のABSTRACTを日本語に訳した。34本もあるABSTRACTで、残るは1つとなった。明日、愛工大本山キャンパスで大野先生と二人だけのゼミをやるので、どうしても準備しておきたい。
 電車で名古屋往復となると、学割定期の減価償却のカウントダウンになるのでうれしい。しかも出張ということは、名古屋1往復が2往復の価値がある。
 しかし、終日雨降りの名古屋出張はちとつらいものがある。
 夜は、出張先で簡単な懇親会もあったので、帰宅したのは8時半ころである。
 それから最後のABSTRACTの翻訳をした。何とか間に合った〜。

5月26日(土)「本山キャンパスで勉強した後のハプニング・・・の風さん」
 今朝も早起きした。昨日と違って青空が広がっている。一昨日の刈谷市中央図書館の担当者へ返信ファックスを送った。
 自宅を出発する前にABSTRACTをしっかり読んだ。34本のABSTRACTの中で、フルペーパーで読むべき文献がどれか、自分なりに優先順位をつけた。
 本山キャンパスでは、大野先生と約3時間にわたって文献調査の相談をしたが、私の不安をよそに、大野先生は自信たっぷりにおっしゃった。
 「日本で研究している学者は絶対に少ないはずなので、海外の文献をしっかり調査すれば、日本の最高峰になれますよ」
 思わず私は「ブー、ブー」と鳴きながら木に登りたくなった。
 とにかく秋の学会でデビューしなければならない。
 夕方、長女、次女と名古屋で落ち合って、夕食を食べる約束をしていた。
 名古屋駅の地下街を歩いているときに、ハプニングが起きた。
 全くの偶然なのだが、文芸評論家の清水信先生とバッタリ出会ったのである。ものすごい人込みの中で、である。10年ぶりだろうか。
 ごく自然に二人は男同士の握手をしていた。
 清水先生の中日文化賞受賞を新聞で読んだのは半月ほど前である。ご高齢(86歳?)の先生なので、もっと早く差し上げればよかったのに、と思いつつも嬉しくて、お祝いの品物(お菓子)をお送りした。
 「けっこうな品物をありがとう」
 「先生のお口に合うかどうか自信がありませんでした」
 「ぼくは甘党だから、うれしかったよ」
 先生のお元気な姿を拝見できて、私の喜びはさらに倍加した。
 その後、二人の娘と合流して、パスタの夕食を楽しく摂った。

5月27日(日)「頑張っているスパイダーマン・・・の風さん」
 ワイフのクルマを12ヶ月点検に出すついでに、映画の「スパイダーマン3」を観てきた。
 「ロボコップ」は「ロボコップ3」からロボットがただの機械になってしまったため駄作になってシリーズが続かなくなった。しかし、「スパイダーマン」は3作目もしっかり登場人物の人間が描かれていて、良い作品に仕上がっていた。
 荒唐無稽ながらストーリー作りの勉強になった。たとえば、宇宙から飛来してきた異生物によって、寄生された人間は攻撃的になるのだが、攻撃的な性格になると主人公がまずい状況に追い込まれるように、あらかじめ準備がされている。見事としか言いようがない。
 給油や買い物をして帰宅したが、さすがに1週間の疲れが出た。遊んでいるようで、実は、休みなしの毎日を送っているのだから。

5月28日(月)「『和魂洋才の経営学』に感動・・・の風さん」
 大学院で経営情報科学を専攻するため、あらためて経営について学んでいる。その一環で、かつて頂戴した本を精読する機会も得た。ソシオテック研究所代表の竹内倫樹著『和魂洋才の経営学』(2001年6月初版)である。ここに展開されている経営学は、人間と歴史に根ざすものであり、日本の経営の本質を解説するものである。まがりなりにも27年間会社員生活を送り、80年代、90年代という今だから振り返ることができる時代を経験してきたからこそ納得できる内容である。加えて、歴史小説家鳴海風としての視点も、竹内氏の論旨に対して大きく頷くことができる。
 やはり日本の企業は、人間に根ざした企業文化を強みにして激動の時代を生き抜くことで、真の社会貢献が達成でき、結果として企業の存続と繁栄が獲得できるのである。
 この本の最後の部分に、驚くべき引用があった。時流に先んじた先人の例として数人が挙げられているのだが、その中に、昨年第1回ガウス賞を受賞された、京都大学名誉教授の伊藤清先生が取り上げられていたのである。
 97年にノーベル賞を受賞したマートンの「デリバティブの価値を決める新しい方法の開発」は、「伊藤の定理」と呼ばれる確率積分が基礎になっているのだという。
 過去からもそうだが、現代においていも世界で認められる日本人はたくさんいるのだ。竹内氏は、こういった時流に先んじた人たちに共通することは、「観」を持ち、「想」を描き、「志」を絶たない生き方をしていることだ、と語っておられる。  私も過去の歴史を語る歴史小説家だけでなく、現代をも語れる経営情報科学の専門家を目指そう。
 
5月30日(水)「超最低気分の日・・・の風さん」
 昨日は、今年の新鷹会アンソロジーが30000部発行されるという知らせがあったり、高齢者向け住宅アンケートに回答したお礼に1000円分の図書カードが届いたり、猫のペコが今年最初の狩りをして、ゴキを1匹退治したり、帰宅してうれしいことがあった。
 今日もうれしいことが何かあるかもしれない、と急いで帰ろうとしたら、とんでもないことをしでかしてしまい、激しく落ち込むことになってしまった。
 大ボケである。
 どんな大ボケかということ、こうだ。
 会社の職場には行き先明示板というものがある。席を外すときは、名前の横に行き先を書いておく。今夜、帰宅するとき、普通だったら、こう書かなければいけない。「5/31出張 6/1有休」である。それを、私は、奇っ怪にも次のように書いてしまった。
 「10/31出張 11/1有休」・・・?  
 たまたま忘れ物をしたことに気付いたので、廊下の途中から部屋へ引き返した。すると、同僚たちが私を見てゲラゲラ笑っているではないか!
 「だいぶお疲れのようですね」
 同僚のひとりが行き先明示板を指差しながら言った。
 絶句。
 私はすっかり元気がなくなってしまい、そのまま帰宅。
 玄関に入って迎えに出てきたワイフが開口一晩、
 「今、藤原紀香の結婚披露宴をテレビでやっているよ」
 とたんに、私は機嫌まで悪くなってしまった。

5月31日(木)「影が薄いかも・・・の風さん」
 今日は東京出張である。今日の目標は、持参した読みかけの本を読了すること(・・・ん?)。
 早起きしたのだが、ちょっともたついている間に電車の時間が迫った。駅まで8分しかない。玄関から飛び出した私は走った。朝から疲れるぜ。
 いちおう睡眠時間は十分なので、乗車と同時に読書開始。気になる部分にポストイットを貼り付ける。
 仕事は同行した部下がしっかりやってくれたので、私は比較的楽だった。しかし、喜んでいられないことが今日も起きた。
 途中で知人に電話したのだが、私の声が聞き取りにくいと言う。仕方なく、建物から外へ出て話したのだが、それでも私の声がか弱かったらしい。
 今日は展示会に出張したのだが、私の勤務先は上得意なのでVIPの招待状をもらっている。VIPにはVIPルームがあって、そこでは飲み物やお菓子が無料で提供される。席につくとすぐ女性がきて飲み物の注文をとっていくのだ。
 帰りがけにそのVIPルームに寄った。
 ところが、席についても女性が全然注文を取りに来ない。やがて、後から来た客が、混んでいたので、私と相席になった。するとすぐ女性が飛んできて注文をとり、すぐにZEROコーラを持ってきたのだ!
 しかし、やはり私のところへは注文をとりに来ない。まるで、彼女には私の姿が見えていないみたいなのだ。まるで映画『シックスセンス』の主人公になったような気分だった。
 帰宅してこの話をワイフにしたら、
 「あなたの影薄くなっていない?」
 と怖いことを言われた。
 新幹線の車中で今年25冊目の読了を果たしたが、全然うれしくない。

07年6月はここ

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